MENUMENU

プロジェクト名
『 平成27年度都心と臨海副都心とを結ぶ
BRTに関する調査委託 』

担当Profile
内山 征
Uchiyama Susumu
  • 国内事業本部 主任研究員
  • 2000年入社
内山征

東京2020大会(東京オリンピック・パラリンピック競技大会)の開催が決まり、競技施設が続々と立地する臨海副都心と東京都心(東京駅・新橋駅等)を結ぶ新たな公共交通の計画立案が迫られた。東京都が選んだ交通システムは、「BRT」である。
BRT(Bus Rapid Transit)とは、専用の道路やレーンを走行し、渋滞知らずで高い定時運行性と速達性を備えるバス交通システムだ。都市鉄道の利便性とバスの柔軟性を兼ね備えており、且つ低コストで運用できるため、近年世界各地で導入が進んでいる。

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“プロポーザル(企画提案型)コンペへの参加”
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平成26年度、東京都はBRTを実現するバス事業者を選ぶコンペを実施した。参加者の多くはバス事業者とコンサルティング会社がチームをつくり、勝負に挑んだ。そのような中、コンサルタントであるアルメックVPIにすぐさま声をかけてきたのは京成バス株式会社だった。

「一緒にやってほしい。絶対にとろう。」

コンペは、実績・提案内容・価格の総合点で評価される。
実績の面で京成バスには連節バス運行の経験があった。
アルメックVPIには、国内のBRTの先駆けである「かしてつBRT(茨城県石岡市・小美玉市)」を計画立案したという、どこよりも大きな実績があった。さらに各地の公共交通計画を幾度となく手がけてきたことで、東京都からの信頼も厚かった。
双方の実績を強みにチームを組み、しっかりとした提案を行えば採択される可能性は高いと京成バスは考えていたのだ。

やるに決まっている。アルメックVPIに迷うことは何もなかった。
プロジェクトの主担当には内山が選ばれた。

“これまでにない新技術の導入”

コンペでは無事、我々の提案が選ばれた。内山は安堵した。
しかし本当の仕事はここからだ。具体的な計画策定がスタートした。

BRTのイメージ

〈BRTのイメージ〉

提案ルート

〈提案ルート〉 ※クリックすると拡大します

今回、東京都が期待するのは、2019年に運行開始が可能な「国際都市東京に相応しいBRT」。
アルメックVPIの答えは、水素を活用した燃料電池バス、連節バス等の新技術の導入だ。これまで培ってきた経験・技術の活用に加え、提案予定地の現地調査による情報収集を徹底した。また、アルメックVPIの大きな特徴は、クライアントと一緒の“チーム”として取り組んで行く姿勢。内山はベストの計画ができると信じていた。

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しかし、もちろんすべてが簡単には進まなかった。
内山が最も頭を悩ませたのは、ユニバーサルデザインの考慮だ。特に停留施設において、車いす使用者でも簡単に乗車できるよう、ホームと車両ドアの隙間を極めて狭めて停車する“正着”技術を高めることが求められた。
そこで京成バス等の協力のもと、走行実験を何度も行った。
どんな人でも安全にスムーズに乗降できるようにしたい。
実験を通じ、停留施設の形状などを計画し直した。

走行実験の現場

〈走行実験の現場〉

主要なルートとする環状2号線(虎ノ門と国際展示場を結ぶ新設道路)については、BRT専用レーンを導入した場合にどのような影響が発生するのか、精密なシミュレーションが必要となった。BRTがスムーズに運行できても、一般交通の混雑を招いてしまっては計画として失敗である。そこで内山は3Dのシミュレーションシステムを活用し、分析・評価を行った。

〈3Dシミュレーション〉

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“2019年、運行開始のとき”

現在、東京都が整備するBRTのインフラの方針、京成バスが主体となる運行計画や新会社設立の方針、また、これらを踏まえた事業計画の策定までが完了した。
今後は2019年度の運行開始に向けて、この事業計画に沿った施設整備や運行の準備が進められる。

運行開始の時、内山は何を想うだろうか。
「区民、都民、またオリンピック・パラリンピックの観光客、多くの人が快適に使っている姿を見られる日を心待ちにしてやまない。」
そう語る彼の目は自信に満ち、活き活きとしている。

運行開始の時

〈プロジェクトメンバー:左から内山 征、五十嵐 淳、和田 早永、倉岡 明子〉

“Special Thanks”

中村文彦氏(横浜国立大学理事・副学長・教授)は国内外のBRTの権威であり、 事業計画策定にあたっての協議会の座長を務められた。 中村氏の数多くのアドバイスによって、都心と臨海副都心を結ぶBRT(東京BRTモデル)の骨格ができあがったと言える。

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プロジェクト名
『 モンゴル国ウランバートル市
都市計画マスタープラン・
都市開発プログラム調査 』
&
『 モンゴル国都市開発実施能力向上
プロジェクト 』

担当Profile
佐々木 理恵子
Sasaki Rieko
  • 海外事業本部 シニアコンサルタント
  • 2007年入社
佐々木理恵子

2013年、アルメックVPIには歴史的な快挙があった。JICA(※1)理事長賞(事業部門) を受賞したのだ。
受賞対象は、「ウランバートル市都市計画マスタープラン(※2)・都市開発プログラム策定調査」と「モンゴル国都市開発実施能力向上プロジェクト」である。コンサルタント会社としては初の受賞となったが、それだけこのプロジェクトの意義は大きく、立ち向かった課題は非常に複雑だった。

(※1)独立行政法人 国際協力機構。日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っている。
(※2)骨組みを定める基本計画のこと。

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“プロジェクトが発足した背景”

ウランバートル市の人口は、1998年の65万人から急激に増加し、2007年には100万人を突破している。その多くは農村部から都市部へ移動し、移動式住居(ゲル)を建て生活している。結果として都市周辺部に無秩序なゲル地区が拡大しており、環境問題なども引き起こしている。

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〈ゲル地区〉

“JICA理事長賞を受賞した2つのプロジェクト”

この状況を受け、2007年から2009年にかけてJICAは、「ウランバートル市都市計画マスタープラン・都市開発プログラム策定調査」を実施した。プロジェクトチームのリーダーを現アルメックVPI会長の岩田が務め、2030年までの社会・経済フレームワーク、都市開発ビジョンを示すための協力を行った。

続いての「モンゴル国都市開発実施能力向上プロジェクト」は、上記結果を受けたモンゴル国の法制度整備のための技術支援要請を受けて、2010 年から 2013年の3年にわたり実施された。このプロジェクトは、アルメックVPIの代表取締役、長山がリーダーを務めた。

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〈打ち合わせの様子〉

両案件に参加した佐々木にとって、これらは初めての海外での都市開発案件であった。期待に胸を膨らませていたが、いざ開始してみると、そこには経験したことのない多くの出来事が待っていた。

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“外の人、と思われたままでは協力させてはもらえない。”

「ウランバートル市都市計画マスタープラン・都市開発プログラム調査」では、モンゴル国にとって新しい都市計画方法の技術移転が求められていた。しかし調査開始当初、社会主義時代の都市計画を行ってきたカウンターパート(※現地で受け入れを担当する機関や人物のこと)の中には、不満に思う人も多くいた。
「なぜ、自分たちで計画ができるのに支援を受ける必要があるのか。」「なぜ、外国人が自分達の都市の計画を立てるのか。」佐々木は根気よく活動をし、成果を積み重ねることで信頼関係を築いていくしかなかった。

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〈規則・基準作成ワーキンググループの様子〉

“連携の弱い関係者同士を、粘り強く繋いでいく。”

関係各所の連携がうまく機能していない。
モンゴル国では、人口の6割がウランバートル市に居住していることから、ウランバートル市役所の権限が大きく、市役所と国の建設都市開発省の関係がいびつであった。
さらに、各組織内でも複数の関係局が事業実施に携わっており、縦横の連携をとるのに困難を極めていた。
プロジェクトに携わる多くの関係者に、それぞれオーナーシップを持って参加してもらためには工夫が必要だ。
アルメックVPIを含むプロジェクトチームは、複数のタスクフォース(※特定の課題に取り組むために設置される、特別チームのこと)を作り、議論を行うという体制を作った。また、執務室を建設都市開発省とウランバートル市役所の両方に持つようにし、相手国カウンターパートと日本人専門家の距離を縮めるよう努めた。

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〈合同タスクフォース会議の様子〉

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“JICA理事長賞を受賞。コンサルタント業界ではじめての快挙”
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JICAから高い評価を得た点のひとつに、多くの関係者を巻き込んだことが挙げられる。
モンゴル側からは建設都市開発省、ウランバートル市役所、またそれらの外郭団体。日本側はコンサルタントのみならず、国土交通省、北海道庁、旭川市なと。
特に旭川市からは長期にわたり専門家が派遣され、コンサルタントが持ちえない行政職員からの視点を取り入れることができた。

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“1日分の給料を集めて義援金に”

佐々木には忘れられない出来事がある。2011年に東日本大震災が起こった時、カウンターパートが自分たちの給料1日分を集めて、「義捐金として使ってほしい」と持ってきてくれたことだ。
胸が熱かった。もっと世界に貢献できるようになりたい、そう強く思った。
はじめての海外案件であったモンゴル国。佐々木にとって、これからも特別な国であり続ける。

1日分の給料を集めて、義援金に

〈 左は「ウランバートル市都市計画マスタープラン・都市開発プログラム策定調査」プロジェクトチームのリーダー 岩田鎮夫〉

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